CMがくれたもの

BS日テレで放送されている『小さな村の物語 イタリア』という番組が大好きで、初期の頃からずっと見ている。今日はそこで流れるCMを見て喚起された想いを書こうと思う。

テレビ番組の合間に流れるCMなんて普段は気にも留めないどころか、むしろ話の腰を折る迷惑千万な代物だ。でも、時に思わぬ掘り出し物~セレンディピティと言うのか~に出くわすこともある。今までにいくつもの出会いがあったが、その中でも特に心に残っているCMが三つあり、そのうちの二つが前述の『小さな村の物語』で流れていた作品なのだ。

一つ目はこの投稿をするきっかけとなったもの。実は昨日の放送中に流れたCMだ。大和ハウスの「家族の群像」シリーズ。その第一作が私のお気に入りだ。父が教授を務める大学を息子の小学生が訪ねるという内容なのだが、なんとも言えないノスタルジックな雰囲気と二人の置かれた状況と関係性がCMの中でやんわりと表現されているのが秀逸で、まさにひとめぼれだった。父親役の村上淳さんには、ちょっとヤバい役が多いバイプレーヤーという印象があったが、この役のあまりのハマり具合にキャストを選んだ誰だかわからない人に密かに拍手を送ったものだ。このCMは今も時々流れているので昨日も当然それだろうと思っていた。ところが途中で声のトーンが変わったかと思うと、なんと子役が大きくなっており、村上淳さんもちょっとばかり年をとっているではないか。調べたところ、最初の設定から4年後を描いた新バージョンらしい。さすがに一作目ほどの感動はなかったが、こんな風に続編が作られるってことは、この作品が好きだった人が他にもいっぱいいるのかも知れないと思うと、ちょっとうれしかった

二つ目も『小さな村』で出会った東芝LEDのCM。一つの家族の変遷を影絵のように表現したもので、初めて見た時、不覚にも涙してしまった。企業的にはLEDはこんなに長持ちするんだとアピールしたかったんだと思うが、そんなこと頭から飛んでしまうほど心に迫るものがあった。何故か突然BGMが静かなインストゥルメンタルから歌詞付きのハッピーな感じに変わってしまったが、私は断然インストゥルメンタルの方が好きだ。

三つ目は私の中で一番心に残っている作品だ。明治安田生命の「あなたに会えて」シリーズの『たったひとつのたからもの』篇。小田和正の名曲「言葉にできない」にのせて、とある家族の写真が流れる。子供の名前は今でも覚えている。秋冬君。生後一か月でダウン症と診断された彼とその家族の6年間の記録だ。テレビCMを見て嗚咽を上げるほど泣いたのは後にも先にこれだけだ。見るたびにティッシュケース一箱を使い切るぐらい泣いた。最後に流れるお父さんが秋冬君を抱きしめる写真を私は一生忘れないだろう。これを書くにあたりネットで検索をしてみた。あった。今でも見ることができた。放映されたのは2001年。25年近く前の作品だった。それが色あせることなく今も私の胸に突き刺さっている。キーボードは今、水浸しだ。

雨の日

私はいわゆる晴れ女ではない。かと言って雨女というわけでもなかった。遠足や運動会など学校の大きな行事で思い出すのは、晴れでも雨でもない、今にも雨が降り出しそうなどんよりした曇り空ばかり。

雨は好き。
シトシトと降る雨の中をゆっくりと歩く。雨の匂いを感じながら。雨に煙った街は普段とは違う別世界。この世界を家の中や洒落たカフェから眺めるのが私の至福の時だ。目の前を急ぎ足で横切るスーツ姿の人々、ずぶ濡れではしゃぎまわる子供たち、スーパーの袋をいくつもかかえた女性が足早に通り過ぎて行く。まるで映画の一場面を見ているように眺める。それぞれの生活を想像してみたりしながら。そんな時間は穏やかで心温まる、それでいてなんとなく淋しくもあるひとときだ。

台風や土砂降りの雨は問題外だが、同じ雨でも自分が学校や仕事に行くとなると話は別。職場まで自転車、電車を乗り継ぎ最後は徒歩で通う私にとって、雨はむしろ天敵だ。横殴りの雨の中、自転車をかっ飛ばす私の罵詈雑言は決してここで書けるようなものではない。曇り女であったはずの私は、いつの間にか立派な雨女になってしまったらしい。さっきまで降っていなかったはずの雨が、私が一歩踏み出した瞬間に落ちてくるのだ。開き直った私は「雨は私のおともだちだから喜んでるわけよ」と意味の分からない自慢をしているのだが、そんな時の雨はなんとも恨めしいおともだちだ。

現実的には晴れ女や晴れ男、雨女や雨男というのは当人やまわりの思い込みだと聞いたことがある。そりゃそうでしょ。実際にそんな人たちが存在するならば、オリンピックの開会式に晴れ人間をいっぱい並べとけばいいんだから。

曇り空の週末、一週間分の買い出しに出かけ土砂降りの雨の中戻ってきた。日々の生活に追われながら、わずかの時間を見つけサイト作りに取り組む。年を経るごとに背負うものが減り自由になれると信じていたが、その分、別の重荷が増えていくものらしい。いつの日か何の迷いも憂いもなく、雨の街をずっと眺めていられる日々が訪れることを夢見ている。