アニメという言葉を一つのジャンルとして意識しはじめたのは『機動戦士ガンダム』(もちろん初代)が放映されていた頃。映画化もされ、ニュース番組などにも取り上げられるくらいちょっとしたブームになっていた。マンガに関しては『小学1年生』にはじまり『なかよし』『リボン』『少女フレンド』などなどを友達同士で回し読みするごく普通の少女時代を過ごしてきたが、中学後半になるとマンガをほとんど読まなくなっていた。テレビで見るのは歌番組かドラマ。『ドラえもん』や『サザエさん』にアニメという特別な認識はなく、家族で見るテレビ番組もしくは子供向けの娯楽番組としか思っていなかった。
そこに現れたのがガンダムである。私は一気に虜になった。自分のオタク気質を自覚したのもこの時で、突如スポットが当たりはじめた声優という職業に憧れを抱いたものだ。腐女子なんて言葉が出現したのも多分この頃。自分自身についてほぼ自虐的に使いつつも、ほんの少しだけ嬉しい気持ちもあった。当時は「アニメが好き」「マンガが好き」と大っぴらには言えない雰囲気があった。
時は流れ、今やマンガやアニメは日本の代名詞とも言うべきコンテンツ文化となった。好きを公言しても、かつてほど引かれることもなくなった。押し活の対象はアイドルや俳優のみならずマンガやアニメのキャラクターにまで及んでいる。私はその波に一切のまれることなく過ごしてきた。世界がコロナ禍に見舞われる2020年はじめ頃までは。
コロナ禍が世界を襲う少し前、「鬼滅の刃の伝道師」を自称する若い同僚が職場にコミックスを持ち込み、その回し読みルートの中に私もすっぽり収まった。世間では鬼滅の刃大フィーバーが起きており、老いも若きも鬼滅、鬼滅。炭治郎の羽織柄マスクをした子供たちがそこら中を徘徊しているのを見れば、否が応でも興味が湧く。老眼という難敵と闘いながら何十年ぶりかで読むマンガ。決して面白くなかったわけではない。けれど世間がここまで騒ぐほどの魅力を感じることはできなかった。配信でアニメ版を見た同僚が「マンガよりわかりやすいし面白い」と勧めてくれた時も一向に食指が動かなかった。私の中のアニメは何十年か前で止まったままだった。今思えば、それが私の現在地を決めるきっかけとなったのかもしれない。
深夜に放映していた呪術廻戦を見かけた時、かつてのアニメとは全く違うことに驚いた。画質の粗さや絵の乱れ、同じシーンの使いまわしといった印象しかなかった認識が見事に覆された。配信されていたアニメ版を一気見し、続けざまにコミックスを読破して更に驚いたのは、マンガの内容がそのままアニメになっていることだった。セリフまで変えられることなく使われている! マンガをアニメ化する場合、ストーリー自体が改変されるのはおろか、キャラが追加されたりデフォルメされたりするのが当たり前だと思っていた私には衝撃だった。とはいえ、どう近づけてもマンガとアニメは違う。マンガを読む時、私は小説を読むのと同様に登場人物の声を頭の中で作り上げ、描かれていない部分を想像力で補っている。自分で作り上げたイメージが壊れることが嫌で、アニメ化や実写化には反対の立場だった。だが呪術廻戦との出会いが、この考えを根底から覆した。マンガを読む私の頭の中では、声優中村悠一のイケボイスで話す超がつくほどカッコいい五条が勝手に動き回っていた。もし先に出会っていたのがマンガの呪術廻戦であったら、こんな風にブログを書いている私は存在しただろうか。正直なところ「もちろん!」と答える自信はない。
どんな形で作品に出合うか、小説なのかマンガなのかアニメなのか、はたまた実写化されたドラマでなのかで印象はがらりと変わる。それぞれを比較しながら楽しむ人もいれば、マンガ派アニメ派と呼ばれるように一つのメディアだけに絞る人もいる。同じメディアではあっても描かれ方一つで好きから嫌いになったりもする。そんな微妙なバランスの中で私たちは生きている。
時は2025年10月。映画版第二弾の鬼滅が世界を席巻している今、呪術廻戦も大きく動こうとしている。目や耳をふさいでいても情報が飛び込んでくるこの時代に、アニメ派の呪術ファンたちが今後の展開を全く知らないなんてことがあるのかどうかは知らないが、アニメ『死滅回遊編』を見て彼らは何を思い、どう行動するのだろう。

