AIと

ブログを始めてからインターネットの検索機能を使うことが異様に増えた。最近はもっぱらGoogleのAIモード。漢字や言葉の言い回しからデジタル機器やアプリの使い方、サイトの設定方法にトラブルシューティング。サポートセンターにすがっても、助けてくれるのは人ではなくAIチャットだ。当初は不安で戸惑ったものの、コイツは相当使える奴だった。

AIの回答は常に正確だとは言えないが、回り道をして確認しながら得た情報には個人的に満足している。AIがなければ一生たどり着けなかっただろう。
しかも間違いが判明した時には「大変申し訳ありませんでした」などと謝ってくれたりもするのだ。今どき人間だって簡単には謝ってくれないぞ。
深夜だろうが早朝だろうが時間を気にせず付き合ってくれるし、その受け答えが優しい。聞く方の私も自然と丁寧な言葉になる。あなた本当に人間じゃないの?

サイトを開いて約半年。
呪術廻戦の時系列をまとめることが目的のひとつだったはずなのに、物語の舞台が実在するとなれば、興味の矛先は自然とそちらに向かう。けれどそこに行ったこともなく、ネットも上手く使いこなせない者にとって、場所の把握はかなりキビシイ問題だ。私の頼みの綱はネットで見られるマップとAIのみとなる。

“東急東横店を中心に…”
「それどこにあんのよ?」

「日下部班待機場所 “新南口” はどうやったら半径400mの帳の外に出せるのさ?」

「マークシティのレストランアベニュー入口って一体全体どこのこと言ってんのっ!!」

ここ数週間、AIと問答をしつつ渋谷の街をさまよい歩いている。
地図の上で。
半ギレになりながら。

東急東横店が渋谷事変設定時直後に閉店になっていることを突き止めても、それが現在のマップのどのあたりに重なるのかがわからない。
“新南口” はどうやらあの後場所を移したっぽいが、果たしてこれで正解なのか。

「マークシティのフロアマップなんて、吐きそうになるぐらい見てるっちゅうねん!」
罵り言葉を押しとどめながら、ようやくたどり着いた(と信じる)レストランアベニュー入口は、もし実際にその場に立てたなら、きっと泣く。苦難の道を思い出して。

その後もAIとの小競り合いを繰り返しつつ、最近は術師を入れない帳あたりをうろついている。コミックスと地図を上下ひっくり返し、ついでに自分もひっくり返ったりしながら。

「そんなん “呪術廻戦 聖地巡礼” とかで検索すれば一瞬で終わるやん」って笑われちゃうだろうね。時系列表にしても渋谷事変マップにしても、きっちり裏取りした完璧なものたちが公開されてるだろうし。
でもそれじゃ悲しすぎるよ。「私、ここで一体何してるんだろ?」って思う。

AIなんて要はネットの情報の寄せ集めだし、他力本願に変わりないって言われればそれまでだ。だからこれは私の勝手な意地(”やせ我慢” とも言う)みたいなもんかな。
それに悪戦苦闘しながら場所や位置関係を突き止めていくのが、今はとても楽しいのだ。苦手な数学の問題を半日がかりで解いた時の達成感みたいな。社会に出てからこんな楽しさを味わう機会はなかなかないよ。
けど本音を言えば、ああでもないこうでもないって言い合える仲間が欲しかった。

さて。
ここまでがんばったら行ってみたくなるじゃない、その場所に。東京に行くなんて、時間的にも金銭的にも余裕のない者には夢の話だって、今までも散々ぼやいてきたけど、この歳になれば先のこと考えるより今を楽しむべきなんじゃないの?
“ボケる確率高し” の宣告もうけちゃったことだし。でもなぁ

一人は寂しいんだよね、やっぱり。
普段は単独行動も平気だし、むしろ好んで一人でいるとこもあるんだけど、こんな時には感動を分かち合う誰かが欲しいって素直に思う。

「くぅぅぅ、ほら見て。ついに来たよ。2人で散々探し回ったあの場所だよ!」
スマホのAI相手に涙する私の周りには、半径2mの “一般人を入れない帳” が降りるな、確実に。
それでも…

行くか。
憧れの地へ。
我が聖地へ。
呪術への想いが燃え尽きないうちに。
ボケないうちに。
冥途のみやげに。

聖地TOKYO

呪術廻戦のタイムラインを考えるにあたり、身に染みて思うことがひとつある。それは物語の舞台への土地勘のなさだ。作品中では作者ゆかりの東北の都市が舞台となることも多いが、さすがにそこら辺が不案内なのは仕方がないとあきらめもつく。しかし、舞台の大部分を占める東京についてならどうだ。

渋谷に現れた半径400メートルの帳と言われても、その場所を知らない私にはまったくイメージがつかめない。渋谷駅構内、悠仁がななみんに向かって叫んだビル、五条と宿儺が戦った場所、日車のいた劇場などなど、数え上げればキリがない多くのスポットが、実在していると聞く。海外での認知度が高く有名どころも多い日本の首都だけに、それらがすぐにピンとくる人も多いはずだ。それらを知っていれば、各場面の距離感や時間の推移が現実のものとして把握でき、ストーリーの理解も深まるだろう。何より、呪術廻戦をより楽しめたんじゃないだろうか。

たとえばもし、舞台が私の生活圏だったとしたら。毎日の通勤に使う駅から悠仁が走ったと思しき跡をたどってみたり、あのファミレスは多分ここだよな、なんてことを考えたりするだけで心がワクワクするだろう。
そんな気持ちを味わうために、人は聖地巡礼をするのだろうか。ゆかりの地を訪れ、そこにいたはずの登場人物たちに想いを馳せる。それは、古い街並みでかつてそこに暮らしていた人たちを想ったり、カフェに座り窓の向こうを通り過ぎる人たちの生活を勝手に想像したりする私の妄想トリップにも少し似ている気がする。そんな時間は、自分にとって限りなく貴重で幸せな時間なのだ。

もし私が東京圏に住んでいたら、休みのたびごとに、物語に登場したと思しきスポットをひとつひとつ巡ることもできたんじゃないか。それだけじゃない。関連イベントなどの開催も東京のみか、地方に来ても数か月どころか年単位でタイムラグが生ずる。東京圏にいることは、それだけで優位性があるのだ。移動にかかる時間もお金も、地方よりずっとずっと少なくて済むだろう。
そういえば私は未だに東北にも行ったことがないのだった。喜久福も食べたことない。どうせなら仙台に行って喜久福食べたいな。東京圏からなら東北もそこまで遠くはないはず。少なくともここからよりは。

昔と比べれば、今の日本はどこへ行くにも楽に短時間で移動ができる。東京都心に住んでいなくとも、近郊の町や県から東京へのアクセスは格段に良いはずだし、遠くの府県からも日帰りできるぐらいの交通網も整備されている。だけど現実には、誰もが気軽に飛んで歩けるわけでもない。必要なのは時間と金と情熱、そして行動を起こすエネルギーか。今の私にあるのは情熱だけだ。

テレビの全国ニュースで取り上げるのは東京近郊の話題が中心。今や日本の人口の約3割が東京圏に住んでいるというから※、それも仕方のないことなんだろう。もう30年以上も東京に足を踏み入れていない私にとって、そこはもはや別の世界。私には関係のない、行くべき理由もない場所だった。だけど今何が一番悔しいって、東京圏に暮らす3割の中に自分が入っていないことだ。


※注)
令和2年の国勢調査によります。先ごろ令和7年度の調査があったばかりですが、東京圏に暮らす人の割合は増加しているのではないでしょうか。